1883(明治16)年に生まれ、夢見がちな少女時代ののちに画家を志すようになり、当時の先進的な芸術家グループの一員となります。彼らのたまり場だったアトリエ兼用の古いアパート、通称「洗濯船」で、ピカソやアポリネールらとの伝説的な青春時代を送るうちに、「淡い色調と簡潔なフォルムによる憂いをたたえた詩的な女性像」という独自の画風を作り上げました。30歳になるころには有望な新進画家として世に知られ、当時、パリに各国から集って「エコール・ド・パリ(パリ派)」と呼ばれた多くの芸術家たちの中でも、重要な一角を占めるようになったのです。

 ところが、31歳の結婚直後に始まった第一次世界大戦のため、その後7年間に及ぶ亡命生活を強いられます。愛する故郷や親しい友人たちとも離れたこの間の作品は、どれも痛いような孤独にあふれていました。

 戦後、離婚して単身パリに戻ってからのローランサンは画風を大きく変えます。それまで彼女の絵にぴったり寄り添っていた「憂い」を消し去り、繊細さと華やかさと官能性をあわせ持つ、夢の世界の幸せな少女像を生み出しました。再び戦争に向かう前のつかの間の爛熟した平和のひととき、「狂乱の1920年代」のパリで、ローランサンは時代の雰囲気の表現者となったのです。ローランサンに肖像画を注文することが上流婦人の流行となり、また舞台装置や衣装のデザインなどでも成功を収めました。

 その後、第二次世界大戦ではパリを占領したナチス・ドイツ軍に自宅を接収される苦労も味わいながら戦後を迎え、世の美術の動きがより急進的になっていくのを見守りながらも、静かな老いの中で、自らが信じる美しいものを描き続けて1956(昭和31)年に亡くなりました。
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